急速な技術進歩を続ける20世紀は、2度の世界大戦に象徴されるように、それまでの時代と異なり、国土そのものを破壊する
大規模近代戦争を伴う動乱の時代でもあった。日本は国内的には
立憲君主制の体裁をとり、当初の
藩閥政治を脱して、1920年代には政党が内閣を構成するようになった。1920年代末から軍部が独立性を強め、1930年以降は政府の意思に反した軍事活動や戦闘を多数引き起こし、相次ぐ軍事
クーデターにより、ついには政党政治を葬り去った。もっとも、政党政治を嫌ったのは官僚勢力だったとする説もある。
一方、
中国では
孫文の後を
蒋介石が継ぎ、
国民政府軍が
北伐(中国革命で中国北部の軍閥勢力を平定すること)を開始して、
華北に進出した。田中内閣はこのため3回に及ぶ
山東出兵を行い、東京で外交・軍部関係者を集めて
東方会議を開き、
満蒙の利権を死守することを確認した。これに基づいて政府は
満州の実力者
張作霖と交渉し、満洲の権益の拡大を図ったが、張は応じず、
関東軍は張の乗る列車を爆破して暗殺した。関東軍は当初この事件を中国国民政府軍の仕業だと公表したが、実際は関東軍参謀
河本大作の仕業であった。このため国内の野党から「
満州某重大事件」として追及され、田中は
昭和天皇に上奏しようとしたが、天皇から説明を聞きたくないと不快を表明され、田中内閣はこのため総辞職した。世上では首相の名前を下から読んで、「一つもよしことなかった」と揶揄された。