大陸法の起源は、
ローマ法にある。ローマ法は、もともとローマ市民にのみ適用される「市民法」(Ius Civile)であったが、
ローマ帝国の発展・拡大に伴い、ローマ市民と外国人、外国人同士に取引に適用される「万民法」(Ius Gentium)を生み出した。ローマ法においては、市民としての一個人が個人として尊重され、個人の意思から出発し、法主体間の平等を基本とする
私法を中心とした法体系が発達したのである。
やがて西ヨーロッパでは、ローマ法と共に古代ローマの文化遺産は忘れ去られ、
神判や
決闘による裁判が横行する「暗黒の中世」と呼ばれる時代が続いたが、6世紀に東ローマ帝国の
ユスティニアヌス帝が編纂した
市民法大全の「学説彙纂」(がくせついさん)の写本、いわゆる「フィレンツェ写本」が、イタリアにおいて
再発見されたことを端緒に、
ボローニャ大学でローマ法の研究が始まり発展すると、ヨーロッパ全土から留学生が集まり、やがて大陸諸国で
大学(universitas)が次々と設置されて研究されるようになった。当時の大学は、
ローマ・カトリック教会とは切っても切り離せぬ関係にあり、ローマ法の研究成果は、
教会法の発展を促し、
ローマ皇帝のもった立法権が
ローマ教皇の立法権を理論付けることに成功したのである。